大判例

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名古屋高等裁判所 平成6年(行コ)23号 判決

控訴人(被告)

名古屋南労働基準監督署長

鈴村紀六

右訴訟代理人弁護士

入谷正章

右指定代理人

田中勲

外六名

被控訴人(原告)

安保東子

右訴訟代理人弁護士

西尾弘美

水野幹男

竹内平

荻原剛

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文一項と同旨

第二  事案の概要

以下のように、当審における当事者双方の主張を付加するほか、原判決「事実及び理由」欄第二に記載のとおりであるから、これを引用する。

(当審における控訴人の付加主張)

一  本件の業務起因性については、業務と疾病との間に相当因果関係が認められることが必要である。右相当因果関係が認められるためには、業務と疾病との間に条件関係(事実的因果関係)があることを前提としつつ、両者の間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係、すなわち、当該業務が当該疾病等に対し他原因と比較して相対的に有力な原因となっている関係が認められることが必要である。そして、相当因果関係の立証責任は、不支給決定を争う原告側にある。

事実的因果関係の存否は、医学的な知見に基づき客観的に行い、そして右相当性の判断に当たっては、一方において、日常の社会生活と比較して当該業務にどの程度特異な危険が伴っていたといえるかという点を検討する必要があり、他方において、当該労働者の基礎疾病等を含め、他の要因が通常の他の人・状況と比較し、どの程度異質なものであったかを検討する必要がある。

二  高血圧性脳内出血に関する医学的知見と業務起因性

1 高血圧性脳内出血は、現在では、脳内小動脈の血漿性動脈壊死(血管壊死)に基づく脳内小動脈瘤の破裂と考えられている。そして、このような血管壊死に高血圧が関与することは明らかとされている。

注意すべきは、血圧値が境界領域よりやや高い血圧から正常血圧の範囲内にある場合でも、長い年月の間に動脈硬化が生じ、徐々に血管壊死が進行し、ついには小動脈瘤が形成され、これが破裂することにより脳出血が生じることである。

2 高血圧性脳内出血の成因あるいはリスクファクターとして一般に認められているものは、食塩、遺伝、心臓疾患、糖尿病、過度の飲酒等である。

そして、労働は、一応何らかの関連があるといえるが、現在のところ、そのどの要素がどのようにリスクファクターと関連しているのかについての分析は不十分であるとされている。

3 高血圧性脳内出血の発症因子(引き金因子)

臨床的に破綻の発症因子としては、強い身体的負荷(強い衝撃、物理的な衝撃)や異常な興奮等が挙げられる。

これに対し、精神的不安、緊張、焦燥などの種々の心理的ストレスが脳内出血発症の要因因子として考慮しなければならない場合があるが、一般に両者の因果関係を医学的に立証することは困難な場合が多く、いまだ作業仮説にとどまるとされている。

4 高血圧性脳内出血と過重負荷

高血圧性脳内出血は、業務がなくても高血圧症の存在に加え、加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因により、血管壊死や動脈硬化が進行し、小動脈瘤が破綻する(これを自然経過という。)ものであるから、この場合業務が高血圧性脳内出血との間で条件関係(事実的因果関係)があるというためには、業務による負荷が、脳内出血の発症の基礎となる血管病変をその自然経過を超えて急激に著しく増悪させることが必要である(このような負荷を「過重負荷」と呼ぶ。)。

高血圧性脳内出血は、基本的には、長い年月の間に高血圧症によって生じるものであるから、医学的には、業務自体が直接血管壊死又は動脈硬化を促進することや、高血圧症の増悪を促進するとは考え難い。

これに対し、高血圧性脳内出血の自然経過中に著しく血管病変を増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす負荷、すなわち過重負荷が加わると、その自然経過を超えて急激に発症することがあることは医学的に承認されている。

5 医学経験則によれば、発症との間で最も密接な関連性を有する精神的、身体的負荷は、発症前約二四時間以内のものであり、次いで重要なのは、発症前一週間以内のものである。発症前一週間より前の負荷は、原則的には、発症に影響があるものとはたやすく認めがたいが、右一週間を限定的に区分するものではない(後記現認定基準)。

なお、長期間の業務上の精神的ストレスあるいは疲労の蓄積が、基礎疾患をどの程度増悪させたかを、業務以外の日常生活上の要因による増悪と区別して評価、把握することは、現在の医学では全く不可能であり、しかも、精神的なストレスや疲労の蓄積により基礎疾患が増悪するとしても、その程度は極めて個人差が大きいと考えられており、かつ、個人差を生ずる原因についても定説はない。

したがって、極度の緊張、興奮、恐怖、驚愕という強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態、緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態、急激で著しい作業環境の変化があった場合には、条件関係を肯定することができるが、その程度に至らない単なる精神的なストレスや疲労の蓄積があったからといって、そのことにより業務と高血圧性脳内出血との条件関係を肯定することは困難である。

6 現認定基準について

平成七年二月一日、脳血管疾患と業務との間の相当因果関係の有無を判断する際の最新の医学的知見を踏まえた合理的基準として、労働省労働基準局長通達基発第三八号「脳血管疾患及び虚血性疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」が制定された(以下「現認定基準」という。)。現認定基準は、新認定基準制定後の最新の医学的知見等を踏まえて制定されたもので、その内容は一部若干の手直しが行われたものの、基本的には新認定基準と同様であって、改めて新認定基準の合理性を確認したものである。したがって、本件の業務起因性は、右各認定基準に基づき判断されるべきである。

三  亡喜和の脳出血と業務との条件関係について

1 亡喜和は高血圧症、高脂血症の基礎疾患を有していた。喜和の降圧剤の服用状況は、良好ではなかったというべきである。したがって、同人が血圧安定降下剤等を十分服用しなかったことにより、その後の血圧状態に悪影響を及ぼした可能性は否定できない。

2 亡喜和の死亡原因は、高血圧性脳出血(脳幹出血)であって、これは自然経過により発症した可能性を否定できない。

3 喜和の本来の業務内容について

同人の出張業務は、自ら出張日程の調整を図ることができた上、通常の各種営業マンの業務との比較において特別のものであったとはいえないし、同人は出張業務に慣れていた。業務従事時間も他の業務と比較して不規則ではない。また、昭和五八年一月六日から二月九日までの遠方への出張についても、取り立てて厳しい条件や要素があったとはいえない。

4 昭和五七年以降昭和五八年一月までの業務内容

原判決は、昭和五七年に至りノルマの圧力が強まったと認定しているが、そのようなことはない。

昭和五八年一月の出張については、以前の出張に比べ異質な状況があったとはいえない。特に、同人には、同月においては三〇日に開催された長唄の発表会に向けて相当の時間を割く余裕があったのである。

5 二月に入ってからの出張状況

旅費交通費請求書等の関係証拠によれば、二月二日、三日の出張については、喜和は二日の夜は長女宅に宿泊している。四日、五日(土曜日)は出張がなく、六日は休日で、七日の段階で、二日、三日の出張の影響が残ったとは認めがたい。

次に七日から九日にかけては、二泊三日の日程で出張しているが、その日程、内容等において平常の二泊三日の出張と比較して、特別の負担のあるものであったとは認められない。その後は、韓国出張まで出張はなく、一三日(日曜日)は休養をとったと推測されるから、七日から九日までの出張の疲れについても、韓国出張まで尾を引いたとは考えられず、韓国に出発する際、喜和が一時的ではない深刻な疲労や睡眠不足に襲われていたとすべき事情はない。

6 韓国出張について

喜和の韓国出張については、事前準備の関係で、負担が大きかったというような事情は認められない。

韓国出張中の業務負担は、日程(業務従事時間)、業務内容、特殊要素の有無、予想外の事態の有無、その他の点において、むしろ国内における通常の出張に比較しても、楽な内容であったというべきである。

二月一八日は氷点下の気温になったが、当日喜和は断続的に、ごくわずかの時間外気に触れただけである。

7 以上によれば、喜和の発症前の業務について、右発症と因果関係を肯定しうるような著しく過重な要素は何ら認めがたいというべきである。

(当審における被控訴人の付加主張)

一  業務起因性の意義

原審で主張したように、労災補償制度の趣旨からすると、「業務上」とは業務と負傷・死亡又は疾病との間の合理的関連性があることをいうと解すべきである。

二  立証の程度、立証責任等について

1 脳・心臓疾患の発症原因については未だ解明されていない分野が多いから、被災者の立証責任の程度は軽減されてしかるべきである。労災補償制度の目的に照らすと、因果関係について労働者に立証責任はなく、使用者(政府)側に立証責任があるというべきである。

2 仮に、一般的に労働者(被災者)が立証責任を負うとしても、脳疾患・心臓疾患の特殊性にかんがみ、過重負荷の存在が立証されれば、原則として過重負荷が基礎疾病を増悪させて死傷病等の結果を招来したこと、すなわち業務と結果との因果関係の存在することが推認されるとともに、控訴人側から業務外の身体的・精神的負荷等が原因となって発症したことにつき特段の反証のない限り、業務による過重負荷と結果発生との間に(相当)因果関係を認めるべきである。

三  業務起因性の判断基準

1 控訴人の主張する相対的有力原因説は、不法行為論における因果関係以上の要件を課すものであり、何ら合理性のない考え方である。

2 現認定基準による主な改正点は四点であるとされるが、とりわけ、業務の過重性の判断に際し、従前の認定基準では比較の基準に一般的な労働者を想定していたものを、新たに年齢、経験等を考慮することにした点は、認定基準の考え方を質的に転換するものである。この点は、原判決の考え方が正しいことを示している。

四  過重負荷について

控訴人は、認定基準に沿って、「日常業務に比較して特に過重な業務に従事したこと」を要件としている。しかし、これでは、通常の所定業務それ自体が「血管病変等の増悪」をもたらす過重労働であった場合でも業務外になってしまうから、その不合理性は明らかである。認定要件としては、「発症前に当該労働者にとって過重な精神的・肉体的負担を生じさせる量的若しくは質的に過重な業務に従事していたこと」で必要かつ十分である。

五  喜和の業務による労働負担

1 喜和の日常業務及び昭和五八年一月六日から二月九日までの業務

喜和は、昭和五八年一月六日から二月九日までの三五日間に延べ二〇か所計一七日間出張し、そのうち一〇日は遠方出張であった。まさに二日に一度の割合による出張であり、出張の内容も多様であって、従前に比して出張の割合が極度に高まっていることは明らかである。

喜和の役職は、取締役であるというものの、実質は「係長」と何ら変わらなかったから、日程調整を行うような余裕はなかった。

2 昭和五七年から昭和五八年二月までの業務と労働負担

当時は営業実績が悪化していたから、昭和五七年以降ノルマが厳しく言われていたことは不自然ではない。

長唄は福岡常務の強要によるもので、喜和にとっては業務の一環というものであった。したがって、長唄の稽古は、肉体的・精神的負担を増加させる一要因となったのである。

韓国出張は、訴外会社の海外進出の第一歩であったから、失敗は許されなかった。しかも喜和は、3Eメーターに不安を持っていたから、前日は深夜まで調べものをして、ほとんど睡眠をとらない状態で出発したのである。

3 韓国出張について

喜和は、二月一五日はほとんど睡眠をとらずに韓国に出かけ、到着直後から一八日までのほぼ全日、3Eメーターの営業活動を行った。この営業活動は、喜和に対し大きな肉体的・精神的負担を与えた。

六  喜和の脳出血と業務との因果関係

1 喜和の基礎疾病

喜和の基礎疾病である高血圧症はよく管理されており、WHOの本態性高血圧分類に基づく高血圧のステージによっても第一期に該当する。

2 喜和の脳出血発症の原因について

喜和の脳出血発症は、日常の過重な負担に加え、韓国出張に伴う身体的・精神的ストレスが同人の高血圧を急激に増悪させたことによるものと考えるのが最も合理的である。なお、二月一八日の寒冷暴露も、高血圧の基礎疾病を持つ喜和にとってさらに大きな負担となり、高血圧を急激に増悪させたことは明らかである。

第三  証拠関係

本件記録中の原審及び当審における証拠に関する目録の記載を引用する。

第四  争点に対する判断

一  業務起因性の判断基準

労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に内在ないし随伴する危険が現実化して労働災害が発生した場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災労働者の損害を填補するとともに、被災労働者及びその遺族の生活を保障しようとすることにあるものと解される。そこで、当該労働者の疾病に業務起因性があるというためには、当該業務の疾病の発症という結果発生の危険性が認められること、すなわち、業務と疾病の発症等の結果発生との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつ、これをもって足りるものというべきである。

しかるところ、業務とそれに直接関連性のない基礎疾患とが協働して当該疾病が発症した場合において、業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして相当因果関係が肯定されるためには、単に当該疾病が業務遂行中に発症したとか、発症の一つのきっかけを作ったとかいうだけでは足りず、当該業務に内在ないし随伴する危険が当該疾病の発症について相対的に有力な原因となっていることが必要というべきである。

そして、労働者が業務により肉体的・精神的に過重な負荷を受け、これにより当該基礎疾患が自然経過を超えて著しく増悪し、疾病が発症したと認められる場合には、当該業務に内在ないし随伴する危険が当該疾病の発症について相対的に有力な原因になっているものというべきである。なお、当該労働者の業務の過重性の判断に当たっては、発症した当該労働者と同程度の年齢、経験等を有し、日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある労働者を基準としてこれを行うのが相当である。

二  業務起因性を判断するに当たっての前提事実

当裁判所が、右の点を判断する前提として証拠により認定する事実は、次のように加除、訂正するほか、原判決が、その二一枚目裏末行から四一枚目表七行目までにおいて認定説示するところと同一であるから、これを引用する。

1  原判決二二枚目裏初行「原告本人尋問の結果」の下に「、成立に争いのない甲第八五号証、乙第五一号証の一、二、第五五号証の四、第七三号証、第七四号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第八四号証の一ないし三二、乙第四一号証ないし第四五号証、当審証人岩間利夫の証言により真正に成立したものと認められる乙第五二号証、第五七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第四六号証の一ないし一二、第五四号証、第六二号証の一ないし四四、第六五号証の一ないし一一、第七一号証、当審証人岩間利夫、同八島行康の各証言、当審における被控訴人本人尋問の結果」を加える。

2  同二二枚目裏末行「溶解された鋳鉄」の下に「(溶湯)」を加え、同二三枚目裏初行「訴外会社入社のころ」を「訴外会社入社の直前」に、同二五枚目表四行目「喜和は」から五行目末尾までを「出張の手当の支給の仕方が、遠方の場合には部下二名に対しては日当や宿泊料が少額しか支給されない反面、近郊の場合には、喜和には日当が支給されないが、部下二名にはそれが一定額支給されるというシステムが取られていたことなどから、遠方は、ほとんどもっぱら喜和が一人で担当し、部下二名は東海地方や名古屋近郊を担当していた。その結果喜和は、遠方の出張はほとんど一人で担当するとともに、東海地方や名古屋近郊への出張についても随時担当するという勤務態勢であった。なお、近くへ出張する場合には、喜和は部下とともに出張することもあった。」に、同七行目「社用車を利用し」を「社用車を利用する場合には」に、それぞれ改める。

3  同二八枚目表九行目「一月五日」から同末行末尾までを「正月休みは一月四日までであったが、喜和は五日は休暇をとり、同月六日山梨県都留市所在の株式会社佐藤鋳造に3Eメーター販売のため出張した。同会社では、3Eメーターを持ち込み、同日午後一時から午後五時三〇分までデモンストレーションを行った。喜和は、交通機関は国鉄を利用しており、当日夜は東京都練馬区内の娘宅に宿泊したが、デモンストレーションが終了した時刻、佐藤鋳造と娘宅との位置関係などから考えて、喜和が娘宅に到着したのは夜遅くなってからであったと推認される。喜和は、そのデモンストレーションにおける各種データを現場において克明にメモしており、帰社後、出張用務処理報告(甲第四五号証一頁)に出張の経過を記載すると共に、売込みの材料とするため、その際の各種データを綿密に整理した報告書(甲第四五号証二頁)を作成している。」に、同二八枚目裏六行目「愛知県」から八行目末尾までを「愛知県大府市所在の杉産業電機に出張して、打合せを行った。したがって、帰宅は遅い時刻になった。」に、同九行目「愛知県海部郡七宝町所在」を「岐阜県(養老方面)所在」に、同末行「前回の測定報告等」を「前回の測定報告、サンプルの受取り等」に改め、同二九枚目表四行目末尾の下に「名晃製作所への出張は距離等の関係で日当が支払われないことから、旅費交通費請求書は作成されていない。」を加える。

4  同二九枚目表六行目「翌一九日」から九行目末尾までを「翌一九日は、朝名古屋の自宅を出発し、埼玉県川口市所在の三共鋳造に出張した。交通機関は、名古屋の自宅から市バスと地下鉄で名古屋駅へ、同駅からは新幹線で東京駅まで行き、次いで同駅から国電で川口駅まで、さらにバスで同会社まで赴くというものであった。そして、同会社においては、3Eメーターのデモンストレーションを実施した。同会社については、前年(昭和五七年)の一二月二二日に同会社に出張した際に、年明け早々にデモンストレーションを実施することを約束していたもので、機器はあらかじめ別に送付した上、前記佐藤鋳造の場合と同様に、一九日午後に相当の時間をかけてデモンストレーションを行った上データを克明にメモし、その後、売込みの材料とするためデータ報告書を作成したものと思われる。一九日夜は東京都練馬区内の娘宅に宿泊したが、娘宅に到着したのは、夜になってからであった。翌二〇日には、同じく川口市所在の白鳥鋳物にクレーム処理及び現場での立会調整のため出張し、同日夜名古屋の自宅に帰った。」に、同一〇行目「同日二五日」から末行末尾までを「同月二五日には、静岡県榛原郡金谷町所在の東鋳造にクレーム処理のため出張した。喜和は、現場において、メーター内のマイコンを交換し、現場で立会及び調整を行ったが、その作業にほぼ全日を要し、帰宅したのは夜遅くであった。この出張には、公共交通機関を使用し、その方法は、名古屋の自宅から市バスと地下鉄で名古屋駅に行き、同駅から国鉄を乗り次いで(浜松から普通電車使用)国鉄金谷駅まで行き、同駅からタクシーで東鋳造に赴くというもので、移動については相当な時間のロスも生じたであろうから、帰宅時刻は、前記のとおり夜遅くであった。」に改める。

5  同二九枚目裏三行目「前記三共鋳造」を「埼玉県川口市所在の前記三共鋳造」に、同四行目「夜自宅に帰った」を「その夜は東京都練馬区内の娘宅に宿泊した」に改め、同七、八行目「ともに、」の下に「自動車で」を加え、同一〇行目「その日は」から同三〇枚目表三行日末尾までを「午後六時三〇分ころ同会社を出て、午後一〇時三〇分ころ同県内の喜和の別荘(山荘)に到着し、そこで宿泊した。翌八日は、大雪であったこともあって午前五時ころに起床し、岩間運転の自動車で国鉄中央線茅野駅まで送ってもらい、岩間とは同駅で別れ、一人で午前八時〇七分発の電車で茨城県所在の岩井産業まで出張した。同会社の最寄駅は、国鉄常磐線・同水戸線の友部駅(水戸市の西方に位置する。)で、具体的な経路は証拠上明らかではないが、その距離・交通機関(乗換えが必要と思われる。)等からして、同会社に到着するまでに相当の時間を要した。したがって、実際の仕事は午後に行われ、その日は東京都練馬区の娘宅で宿泊したが、娘宅への到着はやはり夜になっている。さらに翌九日は、東京の娘宅から山梨県都留市所在の前記佐藤鋳造に出張し、一日中現場の立会を行い、その日のうちに名古屋の自宅に帰った。同会社から名古屋の自宅までの経路は、同会社から国鉄中央線大月駅まで行き(使用した交通機関は不明である。)、同駅から急行電車で新宿駅まで行き、国電で東京駅に出て、新幹線で名古屋駅まで戻るというものであった。旅費交通費請求書(乙第四六号証の一〇)には記載がないが、名古屋駅から自宅までは地下鉄と市バスを乗り継ぎ、前記佐藤鋳造での実働時間とこのような帰宅の経路とを併せてみると、帰宅は夜遅くなったものと推認される。そして以上の各出張行程に照らすと、旧国鉄時代の本数も速度も現在とは相当距たりのある各列車を乗り継いでいたこと(この点は当裁判所に顕著である。)から、その疲労の蓄積はかなり高いものであったと認めるのが相当である。」に改める。

6  同八行目「以上のとおり」から九行目末尾までを次のように改める。

「以上のとおり、一月六日から二月九日までの三五日間(この間の公休日七日を含む。公休日を除くと二八日間となる。)に延べ一九カ所一六日(ただし、一月六日の佐藤鋳造への出張を、出張日程どおり一泊二日の出張とみると、出張は一七日になる。)出張しており、そのうち九日(佐藤鋳造への出張を一泊二日とみると、一〇日となる。)は遠方への出張であった。また、出張の場合には、帰宅が夜になることが少なくなかった。特に遠方へ出張した場合で、仕事が午後一杯行われた場合でも、出張の日程上移動日が設けられていないことがほとんどであったことから、喜和は、出張先で用務を終えた後その日の夜に移動して名古屋の自宅に帰っていた。したがって、この場合には、必然的に帰宅は夜遅くになっていた。

出張の場合の旅費交通費等は、交通費は実費が支給されていたが、宿泊料は定額で一泊九〇〇〇円、日当は、昭和五七年七月ころまでは一日二〇〇〇円、同年八月ころからは三〇〇〇円(距離が五〇〇キロメートル以内)又は三五〇〇円(距離が五〇〇キロメートル以上)とされていた。喜和は、交通費については、バス代、地下鉄代、有料道路通行料なども、細かく請求し、実費精算を受けていた。また、同人には、国鉄を利用する場合グリーン料金は支給されず、同人は普通車を利用していた。」

7  同三〇枚目裏三行目の次に改行の上「なお、訴外会社の公休日は、日曜日、一二月三一日から一月四日まで、国民の祝日、月一回(又は二回)の土曜日であり、これを昭和五八年一月一日から韓国出張の前日である二月一四日までについてみると、その間の公休日は、一月一日から四日まで、一月九日(日曜日)、一五日(国民の祝日)、一六日(日曜日)、二二日(土曜日)、二三日(日曜日)、三〇日(日曜日)、二月六日(日曜日)、一一日(国民の祝日)、一三日(日曜日)となる。ただし、後記のように二月一一日は公休日であったが、喜和は出勤している。これによれば、一月六日の業務開始から同月三一日までの二六日間においては、公休日が六日間であったが、二月の本件出張前の一四日間においては、本来は公休日が三日であったが、喜和は二月一一日に出勤しているから、その二月の一四日間において同人が公休日として休んだ日数は二日になる。」を加え、同四行目「実際には」から同行「しばしばあり」までを「実際には残業することも少なくなく」に改め、同八行目「午前二時ころ」を削り、同行目「及ぶこともあり」の下に「、また休日等の勤務時間外の時間帯に自宅において、仕事や仕事に関連する勉強をすることも多く」を加える。

8  同三一枚目裏二行目末尾の下に「そして、販売された3Eメーターは、一月下旬韓国に輸出され釜山鋳工に届けられた。」を加え、同一〇、一一行目「売買が成立したが」を「売買が成立し、同月下旬に同会社に送付されたが」に改め、同三二枚目裏九行目「同日午前一一時一〇分、」の下に「日新鉱産の大崎俊彦とともに」を、「同一〇行目末尾の下に「韓国においては、喜和は常に大崎と行動を共にした。」を加え、同三二枚目裏末行「当日喜和を空港に見送った部下の一人は」を「出発前日、部下の一人は」に、同三三枚目表三行目「同日」を「一五日」に、同三六枚目裏三行目「几帳面な」を「几帳面で神経質な」に改め、同四、三行目「気にかけていたこと」の下に「、継続的に田中医院において治療を受け数カ月経過した昭和五六年一二月ころ以降は、血圧は概ね正常範囲内で安定した状態になったこと」を加え、同六行目「良好であった」を「良好と評価できるものであった」に、同七行目「韓国出張前に」を「韓国出張前の一月二二日に」に、同八行目「診断を受けたが」から九行目「認められなかったので」までを「診断を受けた。田中医師が血圧測定を行ったところ、最高血圧が一三八、最低血圧が七六で、正常血圧の範囲内であった。そして、直前の一月一四日に行った心電図検査及び血液検査の結果も異常がなかったので、田中医師は」に改める。

9  同三七枚目表二行目の次に改行の上次の説示を加える。

「(一) 脳出血の病理

喜和が発症した脳出血は、高血圧性のものであった。

脳出血の直接的な病理学的原因は、脳内小動脈の血管壊死と、それに続発する微小動脈瘤の破綻によるものと考えられている。そして、血管壊死の発生には高血圧が密接に関連するとされている。

しかし、血管壊死が発生した場合でも必ず破綻するとは限らず、ある報告では、血管壊死のある例で脳出血が起こった頻度は一六ないし五二パーセントであるとされている。同じ血管壊死でも、高血圧であるほど脳出血が起きやすいとされている。」

10  同三七枚目表三行目「(一)」を「(二)」に、同裏五行目「(二)」を「(三)」に、同三八枚目表七行目「法的因果関係は」から同裏五行目末尾までを「法的因果関係を肯定するについては、その事実的側面において、脳出血の発症経過ないし発症機序が医学的に余すところなく厳密に解明され証明されなければならないとするのは相当ではなく、まして、ストレスないし疲労の蓄積が定量的に把握できなければ因果関係を肯定できないというものでもないというべきである。そこで、労働と脳出血の発症との間に相当因果関係があるといえるかどうかを判断するに当たっては、当該被災者の死亡原因、死亡前後の具体的状況、基礎疾患の内容、程度、発症前の業務の状況、生活状況等、関連する諸事情を具体的かつ全体的に考察し、これを当該被災者の死亡原因についての医学的知見に照らし、業務による過重な負荷が、被災者の基礎疾病を自然経過を超えて増悪させ、それにより脳出血が発症したと認められるかどうか、したがって、労働の過重負荷が脳出血発症について相対的に有力な原因となっていると評価しうるかどうかを検討するのが相当である。」に、同三八枚目裏六行目「また」から七行目末尾までを「寒冷刺激が血圧を上昇させる事実はよく知られており、そのことは実験的に確かめられている。脳出血は、一年を通してみると冬期に多発しており、寒冷による急な血圧上昇が発症を促すものと考えられている。また、急性寒冷昇圧試験において、その昇圧反応が、正常血圧者に比し高血圧患者で増大するという報告が多い。」に改める。

三  業務起因性の存否

以上認定の事実に基づき、本件脳出血の発症による喜和の死亡の業務起因性について検討する。

1  業務過重性について

(一) 喜和は、訴外会社の取締役開発部長として、3Eメーター等の販売業務に従事し、社内業務のほか、それに関する出張業務を行っており、右出張業務は、3Eメーターの売込み(デモンストレーションを含む。)、立会調整、クレーム処理等を中心とする業務であった。立会調整は、顧客先に納入した3Eメーターを測定場所に設置し、実際に測定をしてみてデータを取り、これをチェックして、機器を調整し、顧客先の炉の溶湯を正確に測定できるようにするための作業であり、売買契約に伴う重要な業務であって、一定の精神的負担を伴うものではあったが、高温の炉のある工場内で行うことから、作業環境が良好であるとはいえないものの、3Eメーター本体は炉から五、六メートル離れた位置にあり、また溶湯をひしゃくですくう作業は、顧客先の作業員が主に行っていたから、立会調整業務自体の肉体的負担は問題とすべき程度のものではなかったと認められる。

デモンストレーションについても、売込先における作業内容は、右に述べた立会調整業務とほぼ同様のものであったと推認され、現場における作業自体が、大きな肉体的負担や精神的負担をもたらすものであったとは認められない。

(二) しかしながら、出張業務についてみると、喜和は開発部の中で訴外会社の出張旅費等の支給体系の関係で、遠方の出張をもっぱら一人で担当し、併せて近い場所への出張をも適宜担当していたもので、特に遠方への出張は、長距離の移動、その前後の社内業務との兼合い、業務時間が不規則になること等からして、喜和が出張を通常業務の一内容としていたとしても、社内業務に比較して、同人の肉体的、精神的負担は多大であったというべきである。

特に、喜和の出張は、出張目的が立会調整や売込活動であることから、勢い先方の都合を優先せざるを得ないし、まして、出張目的がクレーム処理である場合には、喜和において時と場所を選択する余地のないものであったということができる。したがって、その意味において、喜和の出張は拘束性の強いものであったと評するのが相当である。

また、前認定のように、遠方出張の日程は非常に窮屈なものになっている場合が多く、したがって帰宅が深夜になる場合が多かったし、また自宅を早朝に出発せざるを得ない場合も少なくなかったことが明らかである。このように、通常の勤務時間帯には出張先での業務に従事し、その後の時間帯、場合によってはその前の時間帯に、長距離を長時間かけて移動することは、通常の社内業務に比較して、大きな肉体的、精神的負担を伴うものであったというべきである。

さらに、前認定のように、出張に当たり喜和に対して支給される日当、宿泊料の額に照らすと、東京付近への出張においては娘宅に宿泊することができたとしても、全体的には、喜和の出張は経済的にも余裕のない極めて窮屈な状況であったと考えられ、そのことがたとえば、昭和五八年二月七日に喜和の山荘に宿泊するような措置をとる要因の一つになっていたと推測されるし、それがまた出張による疲労感を強める要因の一つになっていたものと認められる。

また、喜和においては、出張に関する各種準備は、同人一人ですべて行わなければならなかった場合が多く、そのことも、出張による同人の肉体的、精神的負担を増加させる要因であったと考えられる。

(三) 喜和が韓国に出発した昭和五八年二月一五日のおおむね一週間前である二月七日の月曜日から一四日の月曜日までの出張等の業務の状況をみてみると、喜和は二月七日から九日までの間、長野県上田市、茨城県、山梨県都留市に出張しており、その出張が肉体的、精神的に負担の大きいものであったと認められることは、前示のとおりである。そして、夜遅く出張から帰った翌日である二月一〇日から通常業務に従事し、一一日の祝日も出勤し、一二日(土曜日)、一四日(月曜日)に社内での通常業務に従事し、前日の一四日は帰宅後出発当日の午前二時ころまで出張の準備をしており、韓国出張は睡眠不足のまま出発したものと認められる。

また、遡って、同年一月六日(木曜日)から二月五日(土曜日)までの一か月間の出張等の状況をみると、二月二日、三日には、埼玉県川口市及び神奈川県に出張し、一月六日から二月一日までの二七日間(その間の公休日を除くと、二一日間となる。)に延べ一〇日間(半日の出張も含む。)出張しているところ、そのうちの遠方への出張の際には、帰りが夜遅くなったことが多かったものと認められる。

そしてさらに、前年(昭和五七年)一〇月から一二月までの喜和の出張の状況をみると、前記甲第八四号証の一ないし三二、乙第六五号証の一ないし一一によると、喜和は、同年一〇月には二泊三日の遠方出張(埼玉県川口市、福岡市)を二回したが、いずれも展示会に製品を出品したことに伴うものであり、その他には近い場所への出張を二日したこと、一一月には、喜和は静岡県への日帰り出張を含め延べ九日間の目帰り出張をしたこと、一二月には、同人は埼玉県川口市内の三共鋳造に一泊二日で出張したほかは、近い場所へ一日出張したこと、以上の事実が認められる。この三か月間の出張においても、喜和の行っていた出張の一般的な傾向からして、肉体的、精神的に負担になる点があったと認められ、さらに昭和五八年一月に入ってからの出張は、前記認定の事実よりすれば、この前年の三か月に比較して量的、質的に負担が増し、二月に入ってからは、出張を含めた業務が肉体的、精神的な負担を増加させたものと認めるのが相当である。このように、韓国出張が近づくにつれ、出張等を含めた業務による肉体的、精神的の負担が増加しており、かつ、出張、その他の業務の日程・状況から疲労を回復させる機会が確保されていたとはいえないから、韓国への出発前日に部下の神戸が、喜和の顔色が悪いのを心配して健康状態を尋ねたことに表れているように(甲一六号証参照)、喜和には相当高度に疲労が蓄積していたものと認めるのが相当である。

そして、喜和は、このような出発前に増加した疲労を回復させることができないまま、さらに出発当日の午前二時ころまで出張に備えて準備をし、三時間に満たない睡眠を取っただけで、初めての外国出張である韓国出張に出発したものと認められる。

(四) 喜和は、このように、疲労が相当高度に蓄積した状態で、韓国出張に出かけたものであったが、同人にとって、韓国出張は初めての海外出張であり、本件についての医師の各所見に照らしても、そのこと自体が相当な肉体的、精神的負担であったというべきである上、釜山鋳工への出張の目的は、同会社に納入した3Eメーターの立会調整に止まらず、海外への販路拡大を兼ねたものであり、このような海外への販路拡大の用務、目的の持つ意味は、3Eメーターの販売業務に従事していた喜和の置かれていた当時の状況、すなわち、ライバル会社が現れ、売上が思うように伸びないという状況の下では、販売責任者である取締役開発部長の喜和にとって非常に重要なものであり、その用向き及び時期の設定から考えて、本件は相当拘束性の強い、かつ、強度の負担感を伴う出張で、これによる精神的負担もまた大きかったと認めるべきである。こうした負担に加え、近距離とはいえ、初めての海外出張であって、到着後直ちに業務を遂行し、それが四日間継続したことによる疲労の蓄積は、喜和が韓国への渡航経験の豊富な大崎と同行したことや、業務において日本語を使用することが可能であったこと等によって、ある程度緩和されたとしても、なお相当高度のものがあったと考えられる。そしてさらに、釜山鋳工での3Eメーターの立会業務の都合上、当初の予定を変更して韓国出張を一日伸ばさざるを得なかったことも、その出張の拘束性をより強め、喜和の肉体的、精神的負担を増大させる要因であったと考えられる。

(五) しかも、喜和が韓国出張に出向いたところは、韓国は寒冷期であったところ、前記認定のとおり、寒冷が高血圧症を増悪させる要因の一つであることは医学上認められているところである。前記認定のとおり、喜和の韓国出張中の二月一五、一六、一七日には、最低気温も氷点下にならず、この時期の韓国としてはむしろ暖かいといえる気候であったが、本件発症当日の一八日は一転して急に冷え込み、最高気温が氷点下1.1度、最低気温が氷点下3.8度程度というように、一日中氷点下の気温であった。したがって、右死亡当日の釜山の急激に冷え込む寒冷ストレスは、喜和に対する肉体的負担になりうるものであったというべきである。

また、寒暖の差の激しいところに出入りする場合にも、この環境の変化に伴う血圧の調整が困難となって高血圧を増大させる場合があると医学上認められ(甲第六五号証、第六六号証)、その意味において、寒暖の差の激しいところへの出入りも、ストレスとして血圧の上昇を来すおそれがあるところ、前記認定のとおりの喜和の死亡当日の行動からすると、暖房設備の存する屋内や自動車内と、氷点下の気温であった屋外とを頻繁に出入りしていたことが認められるから、仮にその移動の距離がさほど長いものでなかったとしても、このことも、喜和の脳出血発症に対する基礎疾患の増悪要因に十分なりうるものであったと認められる。

(六) なお、控訴人は、喜和には昭和五八年一月三〇日に開催された長唄の発表会に向けて相当の時間を割く余裕があったと主張し、乙第五三号証、第三六号証、第七一号証(これらは弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる。)及び当審証人八島行康の証言には、この主張に沿う部分がある。

右各証拠によれば、喜和は長年に亘って長唄の稽古に通い、同人の技量は相当なもので素人の域を出ており、長唄は喜和の趣味、嗜好であったと認められるから、そうである以上、この点をもって喜和の業務に余裕があったと認めうる要因であるとすることはできない反面、長唄は福岡常務に対する義理で始めた旨の被控訴人の主張及びこれに沿う甲第一五号証の一、二、第八五号証、被控訴人の当審供述を考慮しても、長唄の稽古等が喜和に対し精神的な負担になっていたものとも認め難い。

2  相当因果関係の存否について

以上説示のとおり、喜和の出張業務、特に遠方への出張業務は、その具体的な内容、日程、態様等に照らし、本来不規則で拘束性の強いもので、以前から全体として大きな肉体的、精神的負担を伴うものであったというべきであるところ、昭和五八年に入ってからの出張業務、特に同年二月に入ってからの出張業務は、韓国出張が近づくに従って喜和の肉体的、精神的負担を格段に増加させ、疲労を高度に蓄積させたものというべきである(特に、韓国出発前の二月七、八、九日の出張業務は、格段に肉体的、精神的負担の大きなものであったというべきである。)。そして、喜和は、この疲労を回復させることなく、さらに韓国出張直前には徹夜に近い状態で準備をして韓国に出かけ、この出張が、喜和にとっての初めての海外出張であって、販路拡大の用向きも併せて重要な出張用務であったこと等から、結局、喜和の韓国出張に伴う精神的負担は大きかったというべきであり、しかも、本件発症当日の釜山の気象条件は急激な寒冷により、高血圧症を増悪させるストレスになりうるものであったということができる。そうすると、これら昭和五八年二月に入ってから本件脳出血発症当日までの業務により喜和が受けた労働負荷は、前記認定の医学的知見に照らし、喜和と同程度の六〇歳を超えた年齢、経験等を有し、日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある労働者を基準にして、基礎疾患である血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ得る過重なものであったというべきである。

これに対し、喜和には脳出血の危険因子である高血圧症の基礎疾患があったが、前記認定のとおり、同人の血圧値は、継続的な通院治療を受けていたことにより、ほぼ正常範囲にコントロールされ、同人の高血圧症の程度は最も軽症の部類に属するものであったし、韓国出張に出かける前にも、かかりつけの医師の診断を受け、出張に差し支えがない旨の判断を得、投薬を受けて薬を韓国出張に持参していたから、同人の高血圧は、当時自然の経過により増悪し脳出血発症を引き起こすことが危惧される程度には至っていなかったというべきである。

そこで、以上を総合すると、これらの業務、特に昭和五八年二月に入ってから韓国出張直前までの業務による喜和に対する高度の肉体的、精神的負担及びこれによる疲労に、韓国出張による精神的負担及び脳出血発症の日の寒冷ストレスがさらに加わり、これらが高血圧症の基礎疾患を有する喜和にとって脳出血を発症させる危険性のある過重負荷となり、この過重負荷が喜和の高血圧症を自然経過を超えて増悪させ、基礎疾患である脳血管病変を著しく増悪させて脳出血を発症させたものと認めるのが相当である。そうであれば、喜和の業務による過重負荷が同人の脳出血発症について相対的に有力な原因となっているものというべきであり、結局、同人の脳出血発症による死亡は同人の業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものということができる。したがって、喜和の業務と脳出血発症による同人の死亡との間には相当因果関係があり、同人の死亡は業務に起因するものと認めるのが相当である。

第五  結論

以上によれば、喜和の死亡には業務起因性が認められ、本件処分は不当であるから、被控訴人の請求を認容した原判決は相当である。

よって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官水野祐一 裁判官岩田好二 裁判官山田貞夫)

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